スリップウェアの魅力を紐解く
~日本でよみがえった世界を超え時代を超えるポタリー~
昨今、民藝一大ブームの波が押し寄せています。その中でも「スリップウェア」といううつわが静かなブームを迎えています。
スリップ技法の起源は大変古く、新石器時代(紀元前7000年ころ)までさかのぼります。メソポタミア文明・エジプト文明・中国文明を経て、ローマ帝国時代の器にもその技法が見られます。のちに英国では独自の発展を遂げ、飾り皿から普段使いのオーブンウェア※(注)までさまざまな器がつくられましたが、産業革命の波ともに姿を消していきました。
※オーブンウェア:調理器具の中で、オーブン使用が可能な耐熱容器や器の総称です。スリップウェアは主にパイ皿として用いられました。
時代を経て、遠く離れた日本でよみがえるという歴史の浪漫がありますね。時代と国境を越えた器はまさに「地球の民藝」と言えるのではないでしょうか。
イギリスのスリップウェアは、形を作る前に、先に平らな陶板に文様を描くという、独特の制作工程を特徴としています。うつわ作りの常識を覆すような制作工程。そこから生まれるスリップウェアの独特の世界に足を踏み込んでみましょう。
【この記事の目次】 1.スリップウェアとは 2.スリップウェアの模様 3.スリップウェアの基本的制作工程
本家のイギリスでは、抽象的な文様を描いた普段使いのスリップウェアは、長く顧みられることはありませんでした。遠く離れた日本の民藝運動の創始者たちの心を掴み、今もなお現代の日本人を魅了してやまないのは日本人ならではの卓越した美意識のせいかもしれません。日本人が見出したスリップウェアのその深い魅力に迫ってみましょう。
引用画像:中目黒SML instagram
引用画像: 遠近ochicochi instagram
1.スリップウェアとは
引用画像:中目黒SML instagram
~スリップウェア(Slipware)とはヨーロッパなど世界各地で見られた、古い時代の陶器の一種。器の表面をスリップ(エンゴーベ)と呼ばれる泥漿(でいしょう、水と粘土を適度な濃度に混ぜ合わせたもの)状の化粧土で装飾する方法が特徴。(出典:Wikipedia)~
スリップウェアは広義には、土に水を加えたクリーム状の化粧土(スリップ、泥漿)で装飾して焼き上げた陶器全般のことを指します。
引用画像:伊藤丈浩氏 instgram
スリップ装飾は世界各地のやきものに使われてきましたが、現在、日本で「スリップウェア」と呼ばれている器は、17世紀以降に登場したイギリスのものがその原点となっています。
通常のやきものはろくろなどで成形した後に装飾する手順で作られますが、イギリスのスリップウェアは、生乾きの粘土の板に、化粧土の入ったスポイトやスリップトレーラーなどの容器で縞模様や格子模様などの装飾を施したのちに成形します。
先に粘土板を平らにしたものにスリップ装飾をした後に成形するという、世界でもまれな制作工程で作られる器。これこそが、スリップウェアの大きな魅力につながっています。
ではなぜ、この手順なのでしょうか?
成形した器では柔らかいクリーム状の化粧土で綺麗にスリップ装飾ができないのは想像すると納得できますね。
引用画像:伊藤丈浩氏 instagram
益子に窯を構える、現代のスリップウェア作家・伊藤丈浩さんのお話がスリップウェアの魅力をよく物語っています。「工程がずれることで、制約も生まれるけど、そうでしかない面白さがあります」(出典:「スリップウェア」誠文堂新光社)
薄い化粧土の装飾の可能性を極限まで求めるには、粘土が平面でなくては、それを成し得ることができませんね。
スリップウェアをよく見ると、ひとつひとつのデザインやフォルムが異なっていても、その独特の工程を経ているせいか、どことなく似ている雰囲気を醸し出しています。
引用画像:ふもと窯(井上尚之氏)instagram
2.スリップウェアの代表的な文様
(出典:「スリップウェア」誠文堂新光社)
~イギリスのスリップウェア~
今、私たちが一般的に言う「スリップウェア」の原点は、17世紀以降登場し、18世紀から19世紀にイギリスで盛んに作られたスリップ装飾が施された器にあります。
イギリスで登場した当時は、主に緻密なスリップ装飾が施された飾り皿が中心でしたが、後に調理道具としてパイ皿などオーブン料理の器やピッチャーといった実用品としての地位を築きました。
「用の美」の定義とも言える魅力、「実用品として手早く作るという制約のなかで、研ぎ澄まされる美」がスリップウェアに存在します。
日本の民藝運動の創始者たちが、夢中になって集めたり、再現しようとした、スリップウェアの原点であるイギリスの文様をご紹介します。(出典:「スリップウェア」誠文堂新光社)
※ライターおすすめの一冊:誠文堂新光社から発刊されている「スリップウェア」をご覧いただくとイギリスのスリップウェアの美しい写真を堪能できますよ。ぜひスリップウェア入門書としてお薦めしたい一冊です。まるでバイブルのような一冊です。
Amazon:スリップウェア: 英国から日本へ受け継がれた民藝のうつわ その意匠と現代に伝わる制作技法
【飾り皿・鳥文皿】
イギリスのスリップウェアが登場した当初は、手の込んだ緻密なスリップ装飾が施された装飾的な飾り皿が作られました。飾り皿が衰退していくと次に単純な装飾の鳥文様などが登場してきました。その技法は現在のスリップウェアの技法に受け継がれています。
引用画像:GALLERY ST. IVES Tokyo Japan instagram
※うつわ紹介:上のスリップウェアは「大スリップウェア展 2018」で展示された英国スコットランドのハンナ・マックアンドリューによるスリップウェア楕円皿です。スリップ(泥漿:でいしょう)で緻密に描かれた文様が特徴です。鳥や植物などスコットランドの自然をモチーフにしています。
※おすすめギャラリー情報・・・東京世田谷区沢にある「GALLERY ST. IVES Tokyo Japan」はバーナード・リーチ、濱田庄司の流れをくむ近現代の英国や日本の陶芸を中心に紹介しています。英国スリップウェアを堪能できます。日本で唯一の現代イギリス陶芸専門店です。
【一筆文様】
一筆で描く模様です。
【縞文様】
スリップを直線に平行に縞模様に装飾したとてもシンプルな模様ですが、スリップウェアの魅力を一番感じることができるといわれています。
引用画像:中目黒SML instagram
【フェザーコーム】
並行に縞模様を全面に入れたのち、90度回転して竹ひごや鳥の羽の芯で直角に線を入れます。そうするとまるで鳥の羽のような文様が出来上がります。英語ではFeather Comb(フェザーコーム)と呼ばれ、スリップウェアの代表的な文様です。
引用画像:バーナード・リーチとスリップウェア
引用画像:中目黒SML instagram
【三連文様】
三連のスリップトレーラーで描いた文様。三つのスリップの流れで一気に描くため、勢いがないといけないことからダイナミックな模様が生まれるのが特徴です。
【ひねり文様】
三連のスリップトレーラーを使ったもののなかに。ひねった模様があります。
【格子文様】
縦線と横線を組み合わせて生まれる格子文様。シンプルな文様を二連や三連、波線とアレンジしながら自在に描かれています。
引用画像:中目黒SML instagram
【骨文様】
スリップウェアの文様に、食した後の骨を模したとされる文様があります。
イギリスの古陶、「イギリスのスリップウェア」を観ていると、シンプルで主張しすぎない古陶の控えめな美にいつしか引き込まれていきます。大正時代の民藝運動の創始者たちがスリップウェアの魅力に大いにはまり、一度は消えてしまった陶器を再現するために、ものすごいエネルギーを注いだこと、また現代でもイギリスのスリップウェアに魅せられ、さらには日本で復活させた民藝運動当時のスリップウェアに魂を揺さぶられ、黙々と創作している現代のスリップウェア作家の方々に想いを馳せてしまいます。
引用画像:伊藤丈浩氏 instagram
3.スリップウェアの技法
~現代に伝わる基本的な制作技法~
スリップウェアの最大の魅力のひとつはその工程にあるといってもよいと思います。
ろくろで成形した後に模様を描く一般的な工程でなく、「模様を描いてから型で形を作る」という世界でも稀な制作工程が大きな特徴になっています。
柔らかい化粧土を、成形後の立体的な器に掛けると、たしかに模様は崩れてしまいそうです。日本のスリップウェアの大半はこの制作工程で作られています。それぞれの作家さんの器も共通したフォルムであるのは、制作工程に忠実に作陶されているからなのですね。
スリップウェアの魅力にはまっていくと、フォルムだけですぐにスリップウェアだと気づきます。独特の制作工程から創り出される器は、どこか不思議な気持ちになります。
【スリップウェアの制作工程】
引用画像:遠近ochicochi instagram
1 たたら(粘土板)を作る
粘土を板状にスライスして「たたら」を作る
2 スリップ装飾をする
たたらに化粧土(スリップ)を掛ける。その上に別の化粧土でスリップ装飾を施す
3 成形する
模様がくずれない程度に生乾きに乾燥させたら、型にあてて形を作る
縁を削り取り、型から外す
4 仕上げ(縁や底)
5 乾燥
6 素焼き・釉薬をかける
7 本焼き(古陶は1000度前後の低温で焼成、日本では1200~1300度の高温が主流)
8 完成
詳しい工程はこちら⇒「陶磁器お役立ち情報~スリップウェアとバーナードリーチ~」
そこで、栃木県益子で作陶されている伊藤丈浩さんのスリップ装飾をする様子を紹介した動画をご覧ください。
(動画は個人のinstaguramよりご了承を得てお借りしました)
完成した器から伝わる魅力もさることながら、化粧土(スリップ)で装飾する動きを見るとスリップウェアの本当の魅力に触れることができますよ。
スリップウェアの魅力を少しでもお伝えすることができましたでしょうか。
シンプルで単純な文様の器の奥底まで、その魅力に惹きこまれてしまうスリップウェア。長い長い年月を経て地球上で使われていたスリップ技法。その歴史は、ほかの陶器とは比べ物にならないくらいとてつもなく長い時間。まさにタイムスリップ(スリップ!)。
私もこうして記事を書いているうちに、スリップウェアを手にしてみたい、触ってみたい、作り手の方に会いたい…さらには、その器の土地に足を運びたい、器の作られる場所の景色を見てみたい、土に触ってみたい…そんな衝動に駆られます。
18世紀から19世紀にかけてイギリスで実用的な器として発達したスリップウェアは、イギリスではほとんど評価されず、その前に登場した緻密な技法で作られた飾り皿(トフトウェアとよばれるもの)のほうが重宝されています。産業革命の波と共に、用の美である手仕事の器は、本家のイギリスで姿を消してしまいます。
後に偶然にも、実用的な方の器、いわゆる「スリップウェア」を発見し日本に持ち帰り、熱狂して再現に魂を注いだ民藝運動の創始者たちが、地球上で再び「スリップウェア」をよみがえらせました。日本人の心に響くのは必然とも言えるスリップウェアの魅力。
イギリスから日本に入ってきたスリップウェア(約300点)のうち、およそ半数を30年かけて持ち帰ってきたという、東京・目白の「古道具坂田」店主の坂田和寛氏のお話を最後にご紹介します。(※以下は「スリップウェア」誠文堂新光社から引用抜粋させていただきました)
「実用的なスリップウェアに世界で初めて美を見出したのは、柳宗悦や濱田庄司といった民藝運動の創始者たちです。彼らは最初にトフトウェアを知りながらも、その後出会った実用的なもののほうが美しいと評価しました。(中略)他人の評価に拠らず、自分の目で美しいと判断した彼らはさすがだと思います」
「ヨーロッパの人々が考える美術とは、ギリシャやローマ、それに続くルネサンスという流れに乗っかっています。技術の完成度が高く、作家性があり、希少性があるほうが素晴らしいとされているのです。一方、日本では作り手側の自己表現よりも使い手側、鑑賞者側の受け取り方を重んじるのだと思います。そこに千利休や柳宗悦など卓越した審美眼を持った人物が現れたのだということです。」
次回は日本のスリップウェアの魅力を探ってみます。
引用画像: 遠近chicochi instagram
引用画像:遠近chicochi instagram
アイキャッチ画像引用:遠近chicochi instagram
テーブルライフ編集部:ライター LEAF(リーフ)
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