九谷焼の歴史と魅力
九谷焼(くたにやき)は日本を代表する色絵陶磁器であり、その美しい色使いが大きな魅力である焼物です。
特徴は、本焼きした陶磁器の釉薬の上からさらに顔料で紋様を描き入れた上再度焼くという技法・上絵付けを用いていることであり、九谷焼をはじめ有田焼など、美しく華麗な陶器・磁器には必ず用いられています。
九谷焼の歴史は江戸時代にまでさかのぼります。石川県山中町九谷で良質の陶土が見つけられたことを機に、大聖寺藩の初代藩主・前田利治が、後藤才二郎に命じて、製陶の技術の修得と導入をさせたのがきっかけとされています。最初期であるこの時期の作品を「古九谷」と呼び、有田の柿右衛門・古伊万里・仁清などとともに、品位があり華麗な色絵磁器として高い評価を得ています。また、当時金沢は職人・画家・歌人・学者・茶道などさまざまな優れた技術が集まり、その中でも代表的な工芸品として当時から高い評価を受けていました。しかし一旦40年ほどで古九谷は廃れてしまいます。
その後、加賀藩によって文化年間(1800年頃)に再興を遂げ、京都の青木木米(あおきもくべい)を招致し、金沢市春日山に窯を築かせます。この時代より、芸術的な作品だけでなく日常品も多く作られていくこととなり、産業的に大きく発展をしていきました。
幕末から明治時代初期にかけても大きな変化が訪れます。輸入されはじめた洋絵の具をいちはやく取り入れ、繊細な色合い・中間色の表現に成功した九谷庄三の活躍により、実に多彩な表現の作品が多数生まれました。その後世界にも評価を受け、古九谷の創始より350年を経た今でもさらなる発展を遂げています。
写真提供:石川県観光連盟